『約束します。もしあなたに何か不利な事が起こったとき、僕は一度だけ機関を裏切り、あなたを守ります。…どんなことが起ころうとも』
冬の雪山で古泉が言ったセリフがまだ、頭から離れないでいる。
あの冬の雪山から帰ってきたその日、俺は朝比奈さんと長門とともにやり残している仕事をしに、再びあの十二月十八日へ行った。
そこからの流れは知っての通りで、俺たちはきちんと時間の改変を済ます事ができた。つまりあの俺だけが取り残された世界は完全に消え去ったのだ。
だけど俺は覚えている。制服の違う古泉や、ハルヒがいたこと。あそこで言われた事、自覚した事。でなければ今、俺はまだ古泉への感情を認められずに居たからだ。
ただひとつ計算違いだったのは、階段で頭を打ったらしい俺が運ばれて行く様子を、ハルヒや朝比奈さんはもとい、古泉までもが完全に笑みを消し去って俺の名を呼んでいたことだろう、と思う。名字でも、キョンという間抜けなあだ名でもなく、俺の名前を。
おかげで涼宮ハルヒがやけにテンション高く騒々しい、なんてことを気にする余裕もなく、俺は二つのセリフを古泉の音声とともに生々しく再生しては悶えるという事態を迎えていた。それが冒頭の古泉の言葉と、そして俺の名前なのである。
ちなみに今は二月初頭であり、つい先ほど節分という二月の一大イベントも終わった所である。
ああいや、分かっている。二月の一大イベントはもう一つあるということを。何しろ先ほどハルヒに「あんたも参加するのよ!」と押し付けられて来たばかりなのだが、今こうしてまた古泉の事を色々思い出してしまうのも、それが関係しているのだろう。
何しろ嫌味なくらい顔の良い自称超能力者はタイムトラベラー願望でもあるのか、俺が世界の改変をきちんと正すためにもう一度十二月十八日へ行くと行ったら、「僕も連れて行ってもらえませんか?」やら「ついて行っても姿を見られなければ問題は起きないでしょう」などと屁理屈をこねてまでついてこようとしたのだ。またそれがえらく真剣な顔で頼み込むからたちが悪い。もちろん、却下したが。
ただまあ古泉は単純に時間旅行をしてみたかったんだろうが、おめでたい俺の頭は「もしかして俺を心配してるからついて行こうとしてるんじゃないか?」なんて都合のいい考えに至りそうになって、自己嫌悪の嵐だったわけだ。今日の放課後、ハルヒ達が買い出しに行ってる間にまたその時の話をするもんだからまだ今もぐるぐる考えている。
いい加減古泉のことを頭から離したいと思っていたお陰だろうか、事件はその翌日に起きた。
朝比奈さんが二人、現れたのだ。どうやら話を聞く限り、8日後から来たらしい。それも、8日後の俺に言われて。その上どうやら8日後の朝比奈さん…めんどうだからみちるさんと呼ぶことにした…は俺に聞けば全部分かる、と言われてきたそうだ。どういう事なんだ?
そして、一番問題なのはこのみちるさんは朝比奈さんと会わせてはならない、ということだった。何せみちるさんは未来から自分が来た過去があった、なんてこと全く知らなかったのだから。
とりあえず部室から出る事にして向かった下駄箱で見た天の助けこと朝比奈さん(大)からのメッセージも、『今そこにいる朝比奈みくるをよろしくおねがいします』という簡素なメッセージだけだったのだ、どうしろって言うんだ。今時RPGでも何かしら誰かがヒントをくれるもんだぞ、おい。
俺にはどうにもこれが今から起こる大騒動の前触れとしか思えない。だがそれでも、確かにSOS団は良い方向へ向かっているはずだ、と俺は思うのだ。
腐女子的なことを考えるのは昔と変わっちゃいない、それどころかパワーアップしているが、古泉曰く閉鎖空間は減少の方向へ向かい、これまた古泉曰く長門は少しずつ人間らしさを見せている、と。もちろん今までの流れで朝比奈さんも何かしら気づき出している部分はあるはずだし、ハルヒも、今では驚くほど人当たりが良くなった。
古泉だって、最近じゃあ特に柔らかい表情を見せるようになったと思っているんだ。機関を裏切っても、なんて言い出したのが一番の成長点だと思う。
それにな、俺だって、去年とは随分変わったさ。今までより面倒見は確実に良くなっているだろうし、大抵の事じゃ動じない精神力も身につけた。
何より俺は、古泉に恋をした。
良い変化かどうかは分からない。それがこれから起こる出来事の前触れなのかもしれない。でも、俺はそれを後悔しようだなんて、これっぽっちも思っちゃい無いのさ。
うるさい妹を放っておいて、俺は朝比奈さんにこの一週間の予定を簡単に話してもらうことにした。
「ええと…8日前、つまり今日は、キョンくんが部活に来なかったんです。当たり前ですよね、こうやってあたしといたんですから。あたしが長門さんに連れ出されて、戻って来たらキョンくんの鞄が消えてて、古泉くんが代わりにそこにいました」
なるほど、ぎりぎりだったわけだ。
「それからちょっと時間が経って…涼宮さんも来ました。何か嫌な事でもあったんでしょうか、怒ってたみたいで…それから、キョンくんがいないのに気がついて電話を」
「うぉわっ」
朝比奈さんが言うや否や、電話がかかって来た。見なくても分かる、ハルヒだろう。一応朝比奈さんに出たかどうか確認をとって電話に出た。
「もしもし?」
『あんた今どこに居んのよ、無断欠席なんて許さないんだからね』
「今は俺の部屋だ。悪いな、急用が入ったんだよ」
『急用って何よ?』
良い言い訳が思い浮かばず、俺は咄嗟にシャミセンをだしにすることにした。
「あー…シャミセンが病気になったらしくてな、うちには妹しかいないもんで慌てて俺に連絡して来たんだよ」
『病気?』
「円形脱毛症らしいぞ」
『円形脱毛症?あんな大人しくてストレスもなさそうな猫なのに』
「妹が構いすぎるのがいけないらしくてな。今は俺の部屋で隔離中だ」
『つまんないの。折角例の計画の話もしようと思ってたのに』
おい、部室には古泉も居るのに普通にそう言う話しても大丈夫なのか?
『まあいいわ、シャミセンにはお大事にって言っといて。じゃ』
ぷつん、と電源が切れて思わず俺は安堵の溜息をついた。
「このあとハルヒはどうしました?」
「このあとは…特にいつもと変わらなかったと思います。ちょっとそわそわしてましたけど」
それもそうだろう、何せ乙女、いや腐女子的にも一大イベントが待っているのだから。
「じゃあ、次の日からの事は覚えていますか?何か印象的なこととか」
「ええと…どこまで言っていいんでしょうか。とりあえず、次の休みの日に、皆で宝探しをするんですけど」
「宝探し?」
一体なんでまた。
「宝の地図を涼宮さんが持って来て…鶴屋さんが家の倉を整理してたら出て来た、って涼宮さんに。墨で書かれた、すごーく古いものみたいなんですけど」
「いったいまたどこに?」
「やまです」
やま?
「ええ、鶴屋さんの私有地なんだそうですけど」
あの人山も持っているのか。すごいな。
「キョンくんも見た事あると思います。学校帰りに見える、丸い山なんですけど」
「ああ、あれですか…んで、宝は見つかったんですか?」
「いいえ」
やっぱりか、と俺は少々ため息をついた。ありもしない宝を今から探させられるのかと思うと溜息がでる。
「その次の日の土曜日と日曜日にも、」
「また掘ったんですか?」
「あ、いえ。土曜日はいつもの…」
「市内パトロールですか」
そう、と朝比奈さんは長門のように頷いた。しかし二日連チャンでやらずとも良かろうに。
「あの、ほら…月曜日もおやすみですし、それに、例の計画のこともあるから、って」
…そう言えば月曜日は特編入試があるとかで休みだったな。それになにより、その月曜日は作戦決行日じゃないか。
「つまり、土曜に材料の買い出し、日曜の集まりの後にもう一回集まってチョコを作る、ってことでいいんですね?」
「はい。…あの、古泉くんにはくれぐれもバレないようにお願いしますね?」
わかってます。誰が古泉用にチョコを作ってるだなんて白状するか。それに、だ。出来れば作ったとしても匿名のまま下駄箱に放置してしまいたい。
8日後の様子、つまり朝比奈さんがここに来た経緯を聞いたのだが、それからもピンと来るような出来事は無い。何かが起きたとは思えないのだが、一体何のために彼女はここに来たんだ?
既に外は暗くなりつつあり、彼女を家に泊めるわけにも行かず、困った俺は朝比奈さんを長門の所へ置いてもらうことにした。
「長門さんの所へ、ですか」
「嫌ですか?」
「いえ、それは大丈夫なんですけど…一方的にあたしの方が盛り上がっちゃいそうで…」
ええと、それはやっぱり腐女子話で、ですか。
「実はこの前出した『ろまんす・はにぃ』の続巻を作らないか、なんて話してるんですよ。今度は女体化とか女装とか触手その2とか古泉くんと闇古泉くんによるキョンくん陵辱とか!」
すみませんお願いですから道の真ん中でそんなこと熱く語らないで下さい。
「あ…ごめんなさい」
長門の家に着いて部屋に入れてもらったが、相変わらずこの部屋は何も変わらないな。強いて言えば少し、本の趣味が変わっている気がするが。
「今私の中で女体化ブーム」
…ええと、俺はまだ何も言ってないんだが。
「敬語キャラ×ツンデレキャラをあなたと古泉一樹に当てはめて読んでいる。その中に女体化シリーズがあった。あれはとても良い。普段ツンツンしているのに二人きりになりHに発展すると途端に甘え放題になるのが非常にそそられる」
「女体化も良いですけど女装も萌えますよね!攻めが女装して受けを襲うのも素晴らしいと思うんです。もちろん攻めが罰ゲームと称して受けにコスプレをさせて恥ずかしがる受けをそのまま押し倒すっていうシュチュエーションも萌えますけど」
あの、お願いですから二人とも落ち着いて下さい。
「…それで長門、お前は何かこの後どうすればいいか、知らないか?」
「知らない。未来の私と同期もできない」
同期って、つまり未来の情報を手に入れることをやめた、ってことか?
「そう。わたしの意志で禁止処理コードを申請した。…安心して。涼宮ハルヒとあなたの命はわたしが守る。あなたの貞操は守れないけれど」
いや貞操云々はどうでも…よくないけどこの際いい。自分の意志で、って、またどうしてだ。
「したくないから」
長門はもう一度戻った十二月十八日に自分に対して言った言葉と同じ言葉を繰り返した。…そうか、お前も、そのくらい自分の意志を持ち始めてるんだな。
「それに、未来が見えたらあなたと古泉一樹がもしかすれば急展開であんなことやこんなことにということを想像できなくなる」
「確かにそれは夢が無いですよね!といってもわたしも8日後の事は知っちゃってるんですけど…」
なんでまたそこで残念そうにするんですか、朝比奈さん。…いや詳しくは聞きたくないので何も言わないで下さい。
俺ががっくりと溜息をつくと、長門が少しだけ、笑った気がした。