――――N?H/KazmhB――――
「ほら、閉鎖空間が崩壊するぞ」
す、と彼が空を指した。ぴしぴしと音がしそうなくらい、灰色の空間にあっという間に亀裂が生じる。そして。
先ほどまでの空間が嘘のように、街が光を取り戻していた。いつもと変わらないであろう、人々の気配、街明かり。
「聞きたい事は諸処あるだろうが、後でな。そろそろ帰らなきゃならん時間帯だろ」
「…ええ、そうですね。下でタクシーが待ってますから、行きましょう」
ビルの屋上から地上に戻れば、ビルの前で新川さんが待っていた。タクシーに乗り込むと、静かに車が発進する。
「…さて、まあ色々話すべきだろうな。まずは何が聞きたい?」
「色々ありすぎて、絞りきれませんね。それに、知ってはいけないこともあるでしょうから」
「『禁則事項です』…ってか?」
彼はいたずらっぽく人差し指を唇に当ててみせた。
「ま、朝比奈さんの真似はおいといてだな。まあまずは…体のことから説明すべきだろうな」
「体、ですか」
「ああ。お前ももう気がついているだろうが、今の俺と昼間の俺は少し違う。同じ存在ではあるけどな。だから、"キョン"も俺だ。違うのは、この状態の記憶がない事。これは俺が意図的に消してる」
「なぜですか?」
そう問うと、彼はぼすん、と背もたれに身を預けた。
「面倒だからだ」
心底そう思っている口調で言われては、苦笑するしかない。
「面倒、って…」
「今の状態を見てれば解るだろうが、解ってる事を説明されても面倒なだけだろう。だからといってお前みたいにポーカーフェイスが得意な訳じゃないんだよ。俺はな。だから、昼間の俺が色々覚えてるのは都合が悪いんだよ」
「…ではなぜ、僕たち人間と同じ暮らしを?」
「面白そうだと思ったからだ。怒るかも知れんが、涼宮ハルヒに能力を与えたのも同じ理由だぞ。涼宮ハルヒは人間の割には俺と同じ考えだったからな」
「では、僕たちが思っていた、あなたが神に選ばれた、というのは…」
「逆だな。まったくの。俺があいつを選んだんだよ。…ま、朝比奈みくるや長門有希、それにお前については完璧にあいつが選出してるわけだが」
ここまで開き直られては、怒る気力も沸いて来なかった。それに、こんな風にあっさりして言うが、彼も後悔していないわけではないのだろう。
「…あなたが閉鎖空間に現れたのは、せめてもの償いですか?」
そう問いかけると、彼は自重するように笑った。
「償いも何もないさ。どっちかっていうと尻拭いだろ」
「それでも、ありがとうございます」
お陰で何度楽に戦えただろう。おそらく、いや、間違いなく閉鎖空間の発生を押さえ込んでいたのも彼だ。
「…変な奴」
彼は困ったような顔で笑った。
「しかし、それを言うと僕がいなくても一人で閉鎖空間に入れたんじゃないんですか?」
「ああ、それについてはだな、一応俺でも簡単には入れないんだよ。能力者が中にいれば入り口を感知して入れるんだが。閉鎖空間を潰してたことについてはだな…ちょっと手、貸せ」
「え、あ、はい」
すっと彼に手を握られると、もう片方の手で視界を遮られた。ちょっと目、閉じてろ、と案外近くで声が聞こえたかと思えば、すぐに手が離された。
「もういいぞ」
「…これは…」
眼前に飛び込んで来たのは、音のしない世界だった。
姿形は何も変わらない。色も、人々が動いている事も。しかし、音だけがまったくないのだ。
「わかるか?」
「…あなたが創り出した、閉鎖空間ですか?」
正解だ、と彼は笑った。
「ま、これで外から涼宮ハルヒの閉鎖空間を覆って、徐々に縮めて潰してったんだよ。まあ、呑み込んだ、って言っても良いと思うが」
「なるほど…」
「さ、戻るぞ」
彼に触れられて、僕は目を閉じた。すぐに耳に車の音が戻ってくる。
「とりあえず、このくらいか?」
「…聞きたい事があります」
「良いぞ、答えられる範囲ならな」
「僕にこんな話、しても良かったんですか?」
新川さんもいるのに、と言外で問えば彼はにやりと笑った。
「情報は全部改変済みなんだよ、同時進行でな。だから、この場合キョンの記憶も、そこの機関の人間の記憶も、実際はお前が俺に閉鎖空間やハルヒについての説明を受けてることになってる。…くれぐれも間違うなよ?」
「心得ました」
僕が頷くと、彼は満足そうに笑った。
「…あ、そういえば」
「ん?」
「今日、長門さんに会ったんですよ。彼女も何か知ってるみたいでしたけど、何かあったんですか?」
「ああ…朝倉涼子に襲われた、っていう話は聞いてるか?」
僕は頷いた。
「まあ途中までは黙って話を聞いてたんだが、流石に殺されちゃまずいからな、それで動けなくさせられた辺りで俺が前に出て来たんだよ。丁度そのとき長門が救出に来てくれてな。けど前に出て来た以上放っとくのも悪いだろ。だから俺が長門に手を貸したんだよ」
「情報統合思念体の方は?」
「ま、途中で情報をぶった切って全然別の情報を繋げた、ってところだ」
なるほど、長門さんの意味深な台詞の意味が分かった。
「意味深?」
「長門さんが、あなたのことを何か言おうとして、それから結局何も言わずに『あなたにもすぐにわかる』って去っていかれたんですよ」
「ふぅん、あいつらしいといえばらしいか」
「ヘタに言語化しても伝わらないと思われたんでしょうか?」
「いや、多分ここで自分がバラすより、俺の口から直接言わせる方が俺が退屈しないで済むだろうとか思ったんだろ。あいつはちょっとは俺の情報も読み取れるからな」
しかし、その情報も情報統合思念体まではいかない、と。よくできている。
「朝比奈さんは?」
「ああ、多分未来からくる方は知ってるだろ。ま、今の俺は知ってるから別に会わなくても良いんだがな。ただ面倒だから未来までは覗かないもんで、わざわざ未来から状況を伝えにきてくれる、ってわけだ」
それって、ある意味小間使いって言わないだろうか。
「言うだろうな」
…えっと、もしかして心の中も読めたり?
「まあ、意識すれば。しなけりゃ何も読めねーよ。いくら神様でもプライバシーの侵害だろ」
「…そうですか…」
僕は一気に脱力してしまった。
思っていたより神は小さく、そして、思っていたより大物だった。
「…おっと、そろそろか」
彼が呟くと、同時にタクシーも止まった。彼が車を降りて、自宅に向かって歩いて行く。
「…ああ、そうだ」
急に彼がくるりと振り向いた。
「涼宮ハルヒの動向には注意しとけよ。最悪俺がどうにかしてやってもかまわんが、どうもイライラが最大限に達して来てるらしい。今まで以上に閉鎖空間の発生も多くなる。夜は抑えてやれるが、昼間は俺は出て来れないからな、気を付けろよ」
それだけ言いきると、それを待っていたかのようにタクシーが発進した。去って行くタクシーを見送る彼の顔は、すでにいつもの彼に戻っていた。
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