「ぃ、あ、ああ…ぅ、あああっ」
ああ、堕ちて行く。それだけは解っているのに、逃げ出す事さえも出来ない。
体を強く揺さぶられ、快感のふちに溺れながら俺はぼんやりと思い出していた。
この部屋に、来た日の事を。
その日は至って普通の、いつもと変わらない日だった。二年も終わりに近づいていて、朝比奈さんも卒業していくのか、なんてぼんやりと考えていた。
ふいに、車のブレーキ音が聞こえた気がした。気がついた時には、俺の目の前に車が迫っていた。そして、その間に割り込む人物さえ見えた。
ドンッ、と言う鈍い音と、ぐちゃっ、という聞きたくも無いような音が聞こえた。目の前に広がる赤。飛び散る肉片。何が起こったのか、頭は理解する事を拒否しようとしていた。だから、もうひとつ俺の傍に迫っていた車に気がつく事もなかった。
「っ!?」
後ろから羽交い締めにされ、頭に何かを押し当てられた。バチッ、という音が聞こえたかと思うと、俺の意識は闇に呑まれた。
「ええ、成功しました、ありがとうございます」
おかしな程に人気のない裏路地で、僕は機関と連絡をとっていた。
それもそのはずだ。この一本前の通りでは、誰なのか顔の判別がつかないほどぐちゃぐちゃになった死体があるのだから。
彼と同じ背丈で、彼と同じ体重の人間。それでも顔は似ていなかったので徹底的に潰しておく必要があった。これで彼の家族も、あの涼宮ハルヒも彼が死んだと思い込むに違いないのだから。
涼宮ハルヒの力が消える。そう聞かされたのは一ヶ月ほど前のことだ。
「彼女が選んだ人間とはいえ、まだ少年である君に重責を負わせて悪かったね。そこでなんだが、機関の力を持って、君の願いをひとつ叶えようと思う」
つまりは、口止め料ということなのだろう。内心嘲るように笑っていたが、表面にはまったく出さなかった。
「そうですか、彼女の力が」
淡々と、返事をする。叶えたい願い?最初から決まっている。
「では僕に、彼を下さい。世界の鍵である、彼を」
彼を自分のものにするための策は全て自分で考えた。機関に用意してもらったのは、罪を被ってもらう人間と、彼によく似た死体。そして、彼を連れ去るための人間と、彼を閉じ込めておくための部屋と、色々な資金。
ざわめく人の中を、素知らぬ顔で通り過ぎる。ちらりと道路を見れば、血で汚れた彼の生徒手帳が見えた。ああ、これで誰もが思っただろう、事故にあい死んだ可哀想な少年は、彼なのだと。
問題はまだここからだった。涼宮ハルヒの力は消えつつあるだけで、まだ無くなったわけではない。ここで世界を改変されようものなら、全てがおしまいである。勝算はある。自信も。
「古泉くん!!嘘でしょ、嘘って言って!キョンが、キョンが死んだなんて…!」
「…僕も、信じたくはありません。けれどあの場にこれが、あったそうです」
僕は涼宮さんの前に彼の持ち物を出してみせた。全てが血に濡れてしまっているが、間違いなく彼のものである。北高の鞄に、彼の生徒手帳。落ちていて当たり前だ。彼もあの場にいたのだから。
「そん、な…」
「…彼は、死んで、しまったんです…」
悲痛な顔をしてみせると、彼女は腰が抜けたように座り込んだ。これで、涼宮ハルヒの中で完全に彼は死んだ事になったはずだ。
「ご家族も、背丈を見て彼だと納得されました。医師の診断でも、血液型も、DNAも、彼と一致するそうです。…ああ、見ない方がいい。…彼とわからないほど、悲惨な姿になってしまっています」
「っ…!!」
大きく見開かれた目から、涙がこぼれ落ちた。あとは、彼女に彼を生き返らせようという気を無くさせるだけだ。
「彼は、死んでしまったんです。もう二度と、僕たちに笑いかけることも、僕たちと一緒に過ごす事もない…」
暗示をかけるように、僕は言う。実際暗示をかけているのだけれど。
「彼はもう、生き返る事もないんです」
「…っ」
堰を切ったように彼女は泣き始めた。彼の安置された部屋の前で今、彼の妹も同じように泣いているに違いない。別段と、思う事はないが。
上手く行く自信はあった。たとえ彼女がこのシークエンスを無くすために過去に戻るとしても、一ヶ月も前に戻ろうとは考えないはずである。そのために、一ヶ月も期間をおいたのだから。
彼を生き返らせようと言う願望も、おそらくは今ないはずだ。そのために、散々彼は死んだ、生き返らないと聞かせ続けたのだから。
病院の入り口へ行くと、朝比奈みくると長門有希がいた。朝比奈みくるは今にも泣き出しそうだった。
「ああ、朝比奈さん…あなたも、見ない方がいい。彼は…酷い有様でしたから…」
「っ…!」
僕の言葉を聞くと、彼女は安置室に向けて走り出した。未来がこの事について何も干渉しないだろう事も予想済みだ。彼らの仕事は、時間の歪みを戻す事であって、彼を助ける事ではないのだから。未来の朝比奈みくるがなんと言おうと、未来は何もしないだろう。彼女に出来る事もたかが知れているし、許可がない限りは時間を移動する事もできないはずだ。
僕を睨むように、長門有希が見ていた。彼女は知っている。何もかも。しかしそれを言う事は許されていないだろう。どのみち、涼宮ハルヒからはやがて力が消えて行くのだ。涼宮ハルヒの力が消えてしまえば、彼女は転校という形かなにかで此処から去って行くだろう。
「言えばどうですか、人でなし、とか。それとも、あなたに出来なかった事をしようとしている僕が、羨ましいですか?」
「…」
彼女は何も言わず、朝比奈みくるの後に続いて行った。
病院内で笑うなんてこと出来るはずもなく、浮き上がる笑みを消すのに苦労した。
「では、部屋までお願いします」
外で待っていた新川にそう告げると、タクシーは走り出した。後の面倒な処理は全て機関にまかせてしまえばいい。
「ふふ…」
これで、彼は僕のものなのだ。そう思うと、沸き上がってくる喜びに、笑みが止まらなかった。