act.13 Disce gaudere.
ばたばたたと人の足音がする。
頭を撫でる優しい手の感触を感じながら、僕はゆっくりと目を覚ました。
「…お、起きたか」
「…こ、こは…?」
「ああ、まだ寝てろよ、お前まだ万全とは言えねえんだから」
と彼に押し戻されて、僕は再びベットに横たわる。冷静に周りを見渡せば、どう見ても僕の部屋だった。前より綺麗に色々片付いてはいるが。
「…病人に悪いだろうと思って片付けたんだよ。お前を見てる間暇だったし」
「あ…」
僕はどのくらい寝ていたんだろうか。その疑問に答えるように彼がぽつりぽつりと話始めた。
「あれからお前は俺をかばって倒れたんだよ、傷は長門が治したんだが、血が足りなくてな、それで寝込む羽目になったんだ」
「…朝倉さんは」
「…消滅したよ。長門が、やった」
そう言う彼の顔は痛そうで、ああ、やっぱり優しい人だなぁ、と思う。
「あれから、どのくらいの日数が?」
「一日だけだ。心配すんな、ハルヒにはちょっと階段から落ちて頭ぶつけただけだ、って説明しといたから」
だから安心して寝てろ、と彼の手が僕の頭を撫でて、思わずくすりと笑う。
「あなたは優しいですよね、昔から…」
「え?」
昔から?と繰り返す彼に僕はしまった、と思った。言うつもり、なかったのに。
「昔からってどういう意味だ?」
「いえ、なんでもないです。ただの言葉のあやですから」
「嘘付け、なんか隠してるだろうが」
…隠し通せないようだ。僕はこっそり溜息をついた。
「…笑いますか?もし、僕があなたに近づきたくて男子トップを維持し続けたと言ったら」
「は…?」
彼は驚いて言葉もでないみたいだった。予想はしていたけれど、まったく覚えていないんだな、と思うとやはり少し悲しかった。
「…士官学校時代の話です。僕が…まだ、この役割に慣れていなかった頃、」
僕は初めて、あなたに会ったんです。
もう嫌だ、そう思って休み時間に飛び出すのももう何回目だろうか。その度に、逃げたって仕方が無いのだと自分を言いくるめて無理矢理教室に戻って行くのも。
涼宮ハルヒ。その人のために今僕は生かされていて、そしてそのためにこんな場所にいる。
答えの帰ってこない問いを、もう何度繰り返しただろう。いっそのこと、このまま全部投げ出して機関に見限られてみようか。そんな風に、考えていた時だった。
「っ!?」
ひやり、としたものが頬に当てられた。驚いた僕は飛び起きる。
「お、悪い悪い、起こしたか?」
よっぽど僕は自分の殻に閉じこもっていたのだろう、すぐ傍まで人が来ているというのに気づけなかった。
どうやら押し当てられた冷たいものは飲み物の缶だったらしい。先ほど言葉を発した人が持っているのが確認できた。
「寝ても良いけどこんなところで寝るなよ、風邪引くぞ」
寝るなら他に医務室だとか誰もいない教室だとかだなぁ、と彼は言葉を続けるが、僕はそれを遮った。
「放っておいて下さい、あなたに関係ないでしょう」
言ってしまった後に、自分でもしまった、と思った。多分彼は単純に気にしてくれただけなんだろう。ここまで言わなくても、「ああ、そうすれば良かったですね」とかなんとか言って流せたはずなのに。
「そ、っか…それもそうだな」
悪かったな、と言う彼に謝る事ができない。いえ、僕も…すみません、そう言えばいいだけだというのに。
「…まあ、おせっかいついでで言わせてもらうが」
と、彼が言うので僕は思わず顔を上げた。べしり、という音とともに顔に押し付けられる冷たいもの。ちょっと痛い。
「何に悩んでるのか知らんが、あんまり悩まない方がいいぞ。…禿げるからな」
禿げ…っ!? と思わず絶句する僕に、その人はその缶を押し付けたまま、もっと気楽に考えてみろよ。じゃあな、とだけ言って去って行ってしまった。
「それが、あなただったんですよ」
「…それでどうして男子トップに繋がる?」
彼がまだ信じられないというような表情で僕を見る。
「あなたが涼宮さんの傍にいるのはすぐわかりました。だから、まず涼宮さんのそばに行かなければどうしようもない、と僕は思ったんです。案の定、同じトップに並んだ僕を、涼宮さんは認識しましたからね。まったく知らない人間を涼宮さんの傍に派遣するより、涼宮さんと知り合い、なおかつ同レベルである人間の方が機関にとっても都合が良かった。だから僕は望み通りこうしてあなたと同じ場所にいられるんです」
「…まさかカフェオレもあれ以来好きなんだとか言わないだろうな」
あ、と僕は小さく声を上げた。覚えていて、くれたのか。
「今さっき思い出したんだよ。…で、どうなんだ」
「怒られそうですけど…その通りです。僕を初めて勇気づけてくれた味ですから」
あー…と彼はとても言いにくそうに頭をかいた。
「あれは、だなぁ…間違って、買ったんだよ」
「? はい」
「だからだな、お前にやったのも…元気が無い奴がいるからちょうどいいしくれてやるか、ってくらいのもんで…すまん…」
「なんで、謝るんですか? あなたがどう思っていたにせよ、僕にとっては救いだった、それだけの話なんです」
わかった、もういい。そう言って彼は僕に布団を被せた。
「もう寝てろ」
「…あなたは?」
「…お子様のために寝るまではここにいてやる」
子どもと言われてしまった。でも、嬉しくて、僕はくすくすと笑う。布団の上からぺしん、と叩かれた。
暇つぶしに本を読んでいるのか、ぱらぱらとページをめくる音が聞こえる中、僕はゆっくりと、久しぶりに穏やかな眠りについた。
カフェオレは、救いの味だけれど、初恋の味でもあるというのは、まだしばらく秘密だ。
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